コラム

棉を紡ぎながら

  • 自分で考え自分で決める

    2017-02-14|

    繊維質と言われる植物が、撚ると呼称され引かれながら絡み合い、糸という継続的な柔らかなものに成っていく。
    土から成る植物が、継続的に紡がれることで初めて、編んだり織ったりが出来る。
    一体どうやって繊維が絡みあい、継続する「糸」に成るのか、ワークショップではこの体験に最も重きを置いている。
    それは面白みでもあり、それがまさに現代日本にとって「ブラックボックス」だからだ。
    当たり前に身につけ考えもしない糸のこと、この世にあるファブリックは全て糸の集合体である。
    ファストファッションもブランド何ちゃらもコレでしかない。
    地道な原材料の栽培があって初めて成立するのだ、天候に左右されながら。

     

    そこにミラクルは無い。

     

    地球の何処かで言葉も文化も違う誰かが栽培する原材料。
    オーガニックの恩恵は彼らには無い、良くてトントン、大体ブラック。
    CSVのように扱われるオーガニックコットンに学びは無い。
    すごいスピードで次のことに取り掛かる、常に追い込まれた状態、需要と供給の勘違い。
    疑問を抱く時間はない。深く考え疑うことは反社会的なのだ。
    怖がらなくても良い、と言ってくれる人は居ない。

     

    つむぐという言葉は耳障りが良い。震災以降広告屋の定番である。

     

    和棉には計り知れない可能性がある。
    革命を起こす媒体なのだ。
    どこから着手して良いのか、模索すること10年が経った。
    しかし未だにわからない。
    土のこと、栽培のこと、紡ぐこと、つくること、魅せること、売ること。
    一次産業、二次産業、三次産業を足して六次産業とは言ったものだ。
    しかし、どうやっても三次産業がうまく回らなければ一次も二次もない。
    よってどうやったら売れるのか、だけだ。
    売れないものは即廃止、売れるものを推せ推せ、刹那的なマーケット。

     

    このような社会、マーケットを率先し作ったのだ。
    国が?会社が?権力と呼ばれる何かが?
    いや誰でもない、それを望んだのは他でもない国民全体なのだ。
    待つことが出来ない、直ぐに何でも手に入る、のカウンター。
    すぐそこにある効率や楽を豊かと履き違え、汚染にも目を瞑り、ただ息をしているのだ。
    そして人よりも劣らないそこそこな墓石を選んでそこに入る。
    学校、就職、結婚、子育て、親を看取り、自分も老いる。どう生きても大体これです。
    仕方ないじゃん、か。

     

    2016年、イギリスとアメリカの民意、遂に動き出すほかなくなったのでしょう。
    アジア近隣諸国の動向、激動も毎日伝えられています。
    物騒で怖いのでは無く民意がやっとで見えたのだと思います。
    誰のものでも無い自分の人生、誰のせいにも出来ない、だったら自分で考え自分で決める。
    それです。